代表者の素顔その1 トラック運転手・サラリーマンを経て 過酷な状況下に置かれて掴んだ行政書士試験合格 

行政書士試験

行政書士試験。そんなに簡単に合格はできませんでした。

司法試験(弁護士、検察官、裁判官になるもので、行政書士試験とは比較にならない試験範囲と競争率)等を目指す方が、その過程で受けたり、その競争に勝てず、司法書士や行政書士にランクを落として受験する方などもいますから、そういう方は「一発合格」も珍しくないでしょう。

しかし、中には、以前の私のように会社員をしながら、行政書士に挑戦する人も少なくないと思いますが、いわゆる「社会人受験生」は、仕事も家族も勉強も体調管理もメンタル管理も自分でやることになりますから、私生活含め、全てに相当本気で取り組まないといけませんでした。

働きながら行政書士を目指すのは自分との戦い ラクして受かる方法などこの世にはない

私が思う行政書士試験像は、全く手に負えない所を頑張ると、あと数問で合格だ、あぁあと2問・1問で受かったのに・・・中々あと1問が届かない・・・どうしてだ・・・合格に至るまでの心境はこんな感じです。

正直に言えば、楽して合格する方法などは存在しないと思います。時間を「試験に出るのはここ」等という高額の教材やノウハウをお金で買えば合格出るというものでもないでしょう。行政書士の資格者だからといって、受験者へ勉強を教えるプロというのも疑わしいところです。

包み隠さず言えば、私は大学を出ているわけでもなく、法律などには縁のないトラック運転手をしているときに3回、数年のインターバルを置いて、人材派遣会社の労務管理兼営業職をしているときに4回受け、足掛け10年・7回目の受験で合格に至りました。

色んな方がいると思いますが、私は自分の経験上の話であれば、嘘偽りなく・包み隠さず・恥じることなく、話すことができます。

今受験を検討している人、中々合格に至らない人・・・

でも、諦めずに何とか行政書士になりたい。周囲の人を見返したい。

こういった境遇の方々へ、どこに書いたことがあなたの突破できる何かの引き金になるかまでは分かりませんが、「気付き」「共感」「自信」「自己認識」など、諦めずに立ち向かうための後押しになればと思っています。 

行政書士という名称を知る 他人の何気ない一言

私は大学など行かず、社会に出てすぐトラック運転手をしていました。理由は簡単で、運転好き・会社を出れば概ね人の監視下に置かれない・入社時から給料がそこそこ良い・色んな所に行ける。こんなものです。

会社勤めの人間だったとき、私には勿体ないくらいのお洒落で可愛らしい彼女A子(当時大学4年生)さんとお付き合いもできました。

休みの日は色んな所にドライブに行きます。やがてA子さんも卒業し大卒らしく大きな有名企業へ就職します。

最初のうちは、お互い社会人でお給料もちゃんと貰っている。

もっと色んなところに行けるね・・・と。

しかし、大卒で大企業と、かたや地元の運送会社。

A子さんは年々出世して役職や給料もみるみる上がり、ボーナスなど、とても私ではもらえないような金額。

数年前の大学生だったA子さんに色んな事をしてあげた頃と一変し、私の劣等感は大きくなっていくばかりでした。

そんな中、疎遠だった実父が首都圏のA市で病死したと、実父の同居人から連絡が入りました。仙台の地元の知人の葬儀社の方々と、兄と義兄と私の3人で別々の車でA市まで行き、実父を引き取ります。兄主導で祭祀法要を終えた頃、実父に関する相続手続きをすることになりました。

実父は最後リフォーム業を営んでいたようで、その事業の閉鎖に関すること、事業用資材・家財等の整理、役所、家庭裁判所、弁護士事務所や年金事務所などの対応。このとき、素人ながら生まれて初めて内容証明郵便と言うものを作って発送したこともあります。

一段落つき、A子さんとデートの日、一連のことを話しました。

A子さんは「すごいね、専門家みたいなことをしていたんじゃないの?」と。今思うと、これがキッカケだったと思います。

その後、アニメ漫画(実写のドラマにもなった)で行政書士が主人公の物語があることを知り、全巻・全話食い入るように観ることに。。

当時の私は単純な人間で、「おお、なんか法律の専門家ってカッコいい」「おれ、これになりたい」と。

その日か次の日には本屋さんに行って、行政書士の教科書や問題集を立ち読み(この時代は、スマホどころかインターネットさえ微妙でWi-Fiってなんですかの時代)。

本一冊何千円もするので、漫画しか買ったことのない私は「たけーな・・・1万円超えちゃうな・・・これは1,980円だな・・・まずはこれ買ってみるか(テキストなのか、問題集なのか、基本書なのかさえ分別ついていない頃の話で、何を買ったかも記憶にない・・・苦笑)」のレベル。

今思うと・・・買った本は、読んでることに満足していて、中身など何も頭に入っていない状態。でも、一丁前に手荷物にいつも入れておき、「おれは難しい本を読んでいるからすごい」と・・・巨大な勘違いをしていた時期でもあった気がします。

読んでるうちに、「本当に(行政書士に)なれたら良いな。試験っていつなんだろう。幾ら掛かるんだろう。どこでやってんのかな・・・受験すれば受かるかも知れないしな・・・!」

当時はこんなもの・・・苦笑

行政書士「試験」を知る 別れ・転職を余儀なくされる

初の受験(2024年現在よりも前の出題方式で、現在の40字記述式などはなく、数問の空欄へ正しい漢字で法令用語を書き込むものなどがあった)。言うまでもなく、試験中も採点の通知も、恥ずかしくて人に言えない。

落ちたことへの言い訳は一丁前で、覚えてませんが、聞き苦しい虚勢張ってたと思います。

ちょっと本気になって2回目の受験。結果は箸にも棒にもかからない(程度が低すぎて使いようがない。取り扱いようがなく、どうしようもない・・・という意味)。

懲りずに3回目。このとき腰を痛めてトラック運転手は退職し、内勤事務のバイトをしていたため、退職金でスクールの専門講座を申込。以前とは違い、後のない覚悟で真剣に挑む。やっと「本当に行政書士目指しているようですね?」という感じのスコアにはなったが、合格にはまだまだ実力不足。

そのうち、勤めて1年足らずの会社から「正社員」の話が持ち上がり・・・実は勤め先がトラック運転手の人材派遣会社で、私のキャリアがビックリするほど多方面に役立つ会社だったのです。

扱い的には「飛び級」。

いきなり支店の責任者を任せたいと言われた。

彼女のAさんと相談しました。もう付き合って長く、結婚の話も出ていて、バイトじゃ無理だけど支店長なら給料も大幅に上がるし・・・

話し合いの結果、一旦試験から離れ、せっかくオファー頂けた支店長職に専念する結論に至り、婚約に至りましたが、様々な事情で婚約は数ヶ月で解消。その後は仕事に専念することに。

捨てる神・拾う神 感謝の気持が大事なこと、自分の身は自分で守る強い気持ちが芽生える 本気で行政書士合格を目指す 医師になり20年ぶりに再開した従兄の一言で

人生は儚いもの(笑) 飛び級で正社員(支店責任者)になって数年、あっという間に会社は廃業。

自分の勤め先が廃業するということは、社内連絡でなく、テレビ報道で知ったくらい突然で、びっくりしながら笑いました。

しかし、ラッキーでした。廃業した会社の取引先や派遣社員の多くを、そっくりそのまま受け入れてくれる「同業」が現れ、ついでに私も役付けで雇用してくれると言うのです。

勤務先も前職と数百メートルしか離れていなく、社名は変わっても、取引先やスタッフさんは知っている人ばかりの所を担当させてもらい、何不自由なく転職することができました。

これには今でも心底感謝の念が絶えません。

医師になって20年ぶりの帰国で再開 従兄の一言

このとき、長年日本を離れていた従兄Tが帰国しました。彼は(日本では非公認ながら)米国の医師ライセンスを持っており、アメリカで相当苦労して大学を出て医師になった事を、赤裸々に話してくれました。もちろん、私のこれまでの事や現状も聞いてくれました。

Tは私へ「もうやめたの?それ(行政書士)受けるのは?」と。

今は上手く転職できて、不自由ないサラリーマン生活が再開しましたが、Tの言葉で今まで自分に起きたことを振り返ってみました。トラック運転手は腰を痛めて退職せざるを得なくなり、バイトから支店長にまでしてくれた人材派遣会社も数年で廃業。

そう考えたら、今の会社だって何が起きるかわからない。何も起きないうちに資格を手に入れておくべきではないのかと。

当時の私でもまだ「単純さ」は残っていました。転職後1ヶ月も経たない間に、独学での行政書士合格を目指し、市販されている基本書や過去問集を解きながら基礎力を養い、いつも苦手にしていた記述式問題対策・・・特に民法や行政法関連の、5肢択一、多肢選択、記述式過去問の「解答・解説」や「正しい肢」などを記述式で出されそうな所に絞って、ボールペンで紙に書き写す「独自の記述式対策」作業も平行したりしました。

合格水準に急上昇

新試験制度(2024年現行制度)の出題形式になって初めてながら、合計4回目の受験も不合格に終わりました。

しかし、その点数は176点(一定の配点バランスが必要ですが180点で合格)。60問のうち5肢択一(1問4点)が出題の大半を占める行政書士試験では、あと1問取れてれば合格だったのです。本当のことを言うと、自己採点では180点超えだったのですが、この年の記述式問題の一部で、解答速報と公式の解答が大きく異なっており、自分では記述式20点満点のうち、12点以上は堅いと速報を見て思っていました。しかしその自信のあった問題は4点。結果は不合格だったのです。このときは自信もあり、解答速報では合格水準も超えていたので、不合格のハガキが届いたたときは、悔しさ、責任転嫁、自己嫌悪で本当に心が折れて、試験受けるのをやめようと思いました。立ち直るのにも結構時間要しました。

5回目の受験

結果は172点。あと2問・・・

「またか」という思い。これズルして不合格にされてるんじゃないのかと責任転嫁・自己嫌悪・・・成長がありませんよね。

年1回の試験なので、2年連続の「あと一歩」に、メンタルは相当削られました。

「何言ってるんだこの人達」 6回目の受験は震災の渦中 会社の売上を3倍にし 早朝深夜の連続勤務の中で・・・

この年の3月、あの東日本大震災が起きました。会社は本社が東京の仙台営業所であり、沿岸部で津波被災した運送会社が取引先に多かったため、仙台営業所閉鎖の話が持ち上がりました。そんな話が出ていると、事務所のメンバーの殆どが「次の仕事探さないとな・・・」「やだなこの年で無職なんて・・・」という雰囲気になっていきます。

私はトラックの運転手を腰痛でやめざるを得なかったこと、頑張りたいのに突然無くなった会社。こういう経験を経ていたからか、口には出しませんでしたが「何言ってるんだこの人達(乱暴に言うなら:こいつらと一緒の考えだと沈まない船も沈没船にされちまうな)」と心で思っていました。

そこからは、上司や会社の指示など無視して、取引先や登録スタッフさんの現況を確認する作業を単独で始めました。

取引先には、運送業を中心とした企業が多く、特にコンビニの配送センター、産業廃棄物収取運搬などがあり、コンビニの配送センター長のMさんからは

「今はライフラインの復旧や被災者の対応が最優先だけど、コンビニを開けないと食料が流通せず大変なことになる。」

産廃のO課長からは、

「お店や倉庫などの商品関係が無数に破損しているはずなので、何れ捌ききれない廃棄物収集運搬の要請がやってくるはず。」

この他にも数多くの話を聞くことができた。

次にスタッフの現況。家のことで動けない人もいたが、意外に「やることがない。泥の掻き出しでも、物の後片付けでもなんでもいいから、仕事はないのか?」という声が多いことに、人材派遣業のプロとしての魂に火が付いてきたのを今でも鮮明に覚えている。

車のある人・ない人をエリア別に棲み分け、最寄りの駅に集合してくれればNo.〇〇の車で一緒に作業する△△さんが行きも帰りも乗せてくれると伝え、そういうルートをJR沿線上をモデルに構築した。車がなくても仕事ができるという口コミとともに、友人や身内も登録して一緒に仕事をしたいという人も増え、取引先からのニーズに存分に応えることができるようにもなっていった。

作業兼送迎をしてくれるスタッフさんには、日給とは別に手厚い送迎費を支給したが、こちらも「私も送迎できます」と次々に声を上げていただき助かった。送迎に関する費用はその額をそのまま取引先に請求したが、それでも、正確な時間に潤沢な人員供給を繰り返していたことに、取引先各社から御礼を言わるくらいだった。

まずは後片付けよりも、コンビニに物を届けることが被災者のニーズに合っていると位置づけ、産廃側には理解をいただき、最初にコンビニの配送センターへ仕分けの人員を24時間3交代で数十人、配送ドライバーも津波で流された車両のレンタカー手配がつき次第、毎日20人超のドライバーを派遣し流通の一部を担わせてもらった。

コンビニ等の流通に一段落ついた所で、産廃側へ現状説明し、今度は、インテリア雑貨店、家具店、図書館、本やビデオのレンタルショップ、企業の倉庫・事務所などの中に散乱した、おびただしい規模・件数の産廃物の搬出や運搬に、多くの手元作業員、運搬ドライバーを派遣することになった(この状況は、場所やニーズ、形を変えて、数年続いた)。

私の働く仙台営業所の売上は震災前の3倍を計上し「閉鎖」と言っていたのは、はるか遠い昔の出来事になっていた。

私のライフワークも結構ハード。この年、土日に関係なく朝6時から夜23時が定時になっていた。人の手配だけでなく、数多くのスタッフが派遣されることで、給料の支払処理や請求書の発行、派遣帳票類の作成などの部門へもとんでもない余波が押し寄せていたのだ。流石に経理担当の女性一人で夜中まで仕事をしてもらうわけにも行かず、それにも加勢していた。そうしないとスタッフさんの口座に給料が振り込まれず、それについての問合せも物凄い数になってしまうため、何が何でも期日までに給料を振り込む必要があったので、絶対逃げられない作業だった。

今思うと、この年、どうやって行政書士試験勉強をしていたのか、ちょっと記憶が薄いのです。でも、受験はしました。その結果は、とても不思議な「不」合格。

法令、記述式でおそらく180点超えてましたが、一般知識がまさかの1問不足で「足切りの不合格」。

よく180点法令だけで取ったなと・・・と、同じくらい一般知識で足切りされるって本当なんだなと・・・。

7回目の受験は悲しみの中で 弱腰に待ったをかけた1月末のハガキには・・・

会社の方は相変わらず忙しく、でも充実していました。

私は上司に、経理担当をパートでなく正社員にしてあげて下さい(これで給料もアップするし、ボーナスも出る)。そして、もう一人増やさないと駄目です。嫌なら私転職します・・・くらい詰問して、困惑する上司を通り越して本社の人間とも掛け合い、これらを実現させました(あんた辞めたら売上がもとに戻ってしまいそうだから分かったとか言ってました)。

おかげで、6時から23時という「シフト」を外れることもでき、勉強時間を確保することができようにも(ま、これが目的でしたが、八方丸く収まったので良しとします)。

しかし、まだまだそう簡単には行きませんでした。

「過酷なシフト」を外れたその年の秋・・・行政書士試験の丁度1ヶ月前でしたが、市中心部で飲食店を経営していた実兄が心不全で急逝してしまったのです。更に、その数カ月後には養父の在宅介護が始まりました。

私は当時、苦労知らずで世間知らずの未熟な人間でしたから、なんで自分だけが・・・周りは楽しそうに暮らしてるのに、俺だけこんな・・・

アパートやマンションで一人暮らしすれば、養父の介護とか面倒見なくても良いんじゃないのか・・・こんなことを本気で考える日々。

・・・ところが、1月末に、6度は見たであろうハガキが届きます。行政書士試験の合否通知です。

ああ・・・忘れてた、もうそんな時期か・・・でも、いつも2月入ってから来るのに、珍しいな・・・

「判定:合格」!・・・

足掛け10年、7回目の受験だった行政書士試験・・・兄が急逝し、1ヶ月後に受けた7回目の行政書士試験。

正直、自己採点などしておらず、ハガキが届くまでそのことすら忘れていた。

身も心も朽ち果てたところ、どこにこんな活力が残っていたのだろうと思うくらい、すべてが吹っ飛んだ。人間とは不思議な生き物です。

続く

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